根拠は何か?
「こういう状態になったとき、自分一人で解決できる自信、イメージは何パーセントぐらいでしたか?」という私の質問には「1パーセントぐらいです・・・」という弱弱しい返事が返ってきました。
「私なら120、いやそれ以上のものを持ってますよ。 ところで今1パーセントと言いましたが、その根拠はなんですか?なんで1パーセントという低い数字が出たのですか?」
「いや、なんとなくなんですけど・・・」
「なんとなくで1パーセントと思ってるっていうことは、根拠はないというのと同じですね。私が120、それ以上というには根拠があります。実際に正しく機能して利用できてる人が世の中にたくさんいるからです。そうしている人がいるという事は自分が同じように正しく行えば、同じようにそうなるということで、そうならないときは自分が正しくそうしていないからです。」
もちろん、予期せぬ機器のトラブルや環境などによりそうならないこともあるのかもしれませんが基本的にはそういうとらえ方をしていくと良いのです。
「あなたの根拠はしいて言うなら想像、妄想ですが、そんなものに莫大なエネルギーを注ぎ、そこに書いてある単純な注意書きすら目に入らないようならば、それはずいぶん効率の悪い生き方ではありませんか?」・・・そう告げるとうつむいてしまいましたが、人ってけっこうそうしてしまってるところはあるものなのです。
『無明』・・・妄想や想像は根拠にならない。
「質問を明確にすれば答えも明確に出てくる」・・・「質問を明確にできない人には明確な先のイメージがない」・・・「明確な先のイメージがない人には先入観がある」・・・「その先入観は妄想で根拠がない」・・・「自分の妄想というエネルギーで周囲が良く見えていない」・・・これを『無明』というのでしょう。
無明とは煩悩に振り回され光に照らされていない状態を言いますが、こう見ますと光が差し込まないようにあえて自分から妄想というエネルギーを吐きだし、それに隠れるようにしているように見えませんか?
となると、答が出ない人は答えが出ないようにそういうエネルギーをガスの様に吐きだしているという事で、普段からよく口にする「だって」「たぶん」「だから」「でも」・・・などのそのあたりの言葉にはよく注意した方が良いのですね。
「決意」で生き方は変えていける!
世の中に幸せな人や答を出してる人がいるならば自分だってそうなります。 もしそうならないというのであればそれはやり方や手順、考え方などが間違っているわけで、よそ様や何かのせいではないと見切っていく必要があります。
大切なのは決意。少しづつでもそうしていけば必ず答えは出てきます。