新年あけましておめでとうございます!皆様におかれましてもすばらしい新年を迎えられたかと思いますが、ことしも一年、どうぞよろしくお願いします。

一富士二鷹三茄子!一年の計は元旦にあり!

新年と言えば初夢という事で、いかがでしたでしょうか? 一富士二鷹三茄子・・・何か縁起の良い夢は見られましたでしょうか?(笑 
また願掛け、あるいは、一年の計は元旦にありで、すばらしい計画などもしっかりと立てられた方もいらっしゃるのではないかと思いますが、手相においても実は「願掛け」「願いがかなう」相というのがあります。

願いが叶う仏眼

仏眼

願いが叶うといわれている仏眼 皆さんの親指にはありますか?

仏眼(ぶつがん)・・・さてそれはどこにあるかと申しますと実は親指の関節にありまして、ここがきれいな目の形になっていれば、その意味合いもはっきりとした強いものとなり、願いがかないやすいとか、思ったことが実現化するといわれています。またそういう、いわばサイキック、超能力系の力が強い人とも言われ、パッとしたインスピレーションや勘の鋭い人なんても言われていますが、仏の眼とも書くぐらいですから、第三の目(第6チャクラ)が開かれたという意味を表していて、私の見解ですとこの相をお持ちの方は、過去世においてそういう修行や徳を積んだりして悟りを得ていくうちに、未知なる力が開花していた人なのかなという印象を抱きます。それが現世にも持ち越されているのでしょう。

願いの根拠を明確にする!

願いとか夢、希望というものは生きていくうえでは大切なものであり、やはり人生は豊かで元気!明るく、美しいものがベターです。ただし理想や願望ばかりがエスカレートし、それを追いかけるとなると、これはこれで生き方としては自分で自分を苦しめていくパターンに陥りやすいものともなります。大切なのは夢や希望の先にあるもの。または根っこにあるもの。 つまり「なぜそうなりたいのか?」とか、「そうなったらその次はどうなるの?」という所があるかどうか?という点なのですね。

例えるならば「結婚したい!」というものがあるとして、「なぜそう思うの?」という所、また「結婚したらそこであなたはどうなるの?」「何をしていくの?」という所がきちんとあるかどうかなのですが、そこがもし「とりあえず・・・」とか、「年だから・・・」とか、「結婚して幸せに」「子供産んでそれから・・・」ぐらいだと、今度はそうなったとして、突きつけられてくる新たな現実で、またフラフラすることになるものなのです。

大事なのは気づきとか学びの精神です。つまり人として生きていくうえではそういうことは必須であり、「何を通してそういうものを学ぶの?気づくの?」という時の、その選択こそが「願い」とか「理想」の本質なのではと思うのです。(結婚の話で言えばパートナーがいないと学べない、気づけない点があるからとか、親にならないと気づけない親の気持ちとか、今まで気づけなかった領域なんかでしょうか? そういうものがなくて、ただ願いが叶うと、それが叶ったがゆえに失うものが出てくるのです。)

願いと悟りはセットで!

そういう意味でもやはり、自分というものと今一度真剣に向き合い、今後の生き方や、今や過去の受け取り方などを整理してみるとよいでしょう。そしてそこからの「願望」ですが、そうなるとそれはもう「決意」に近いものとなり、ほっておいても努力・精進はするでしょうから、あとはタイミングと運の後押しかなと思います。

願いと悟りはセットで!・・・それが仏眼のメッセージです。