夫婦間では互いに「平等」を訴えるものです。

最近ご夫婦間のお悩みご相談を頂きますので今回はそれをテーマにお話ししてみたいと思いますが、まぁ共通して出てくるものの一つとして「私は~~なのに、主人はーーで・・・」というものでしょうかね。 例えば自分は我慢してるのに相手は勝手に何かを買うとか、どこかへ行くとか・・・そういう「平等性」というか「イーブン」という観点から不満を抱いたり愚痴になってしまうケースです。

私の方が、俺の方が・・・となりますね。(笑

私の方が、俺の方が・・・となりますね。(笑

一般的にこういう場合は、良くお話を聞いて、事情とか流れを把握したうえで「こうですね」「そうですね」という感じになるものですが、そういう理解者とか仲間が欲しいならそれでいいのかもしれませんが、本当にその問題を根本から見つめ、何とかしたい?何がいけないのか知りたい?どっちが正しいのか知りたい?というのであればこれはもう相手のことよりも「自分がなぜそう思うのか?」「なぜそう感じるのか?」という「自分側」を観察していくことをメインに見ていく必要があります。

腹が立たない人もいるのはなぜか?

例えば自分はそういう状況になった場合は腹が立つけども、ある人は同じ条件でも腹すら立たず、逆に感謝してる人もいたりするのですね。 と言う事は「相手」というよりも「受け手」・・・つまり自分の受け方が問題と言う事で、何かしら理解が不十分だったり、誤解していたり、あるいは視野が狭かったりという原因がそこにあると言う事なのです。

「損している、自分ばかりが折れている」という感覚は、これこそ「それ」を支えに物事を考えるようになると「損する観念」です。 生き方も窮屈になるし、卑屈、孤独な性格になりやすい・・・「何から何まで自分ばかりが」という思考癖は被害妄想エネルギーとなり、真実に生きられなくなります。

「平等」をどのスケールから見ているか?

平等というのはこれまた勘違いしやすいものでして、私の説明ですと「今世」だけではないというくくりになります。 この世で生を受け、今の名前で生きている記憶、言動、経験からすれば、「何で私ばかりが・・・」となるかもしれませんが、過去世において、別の名前で、別の時代にさんざん逆の立場でやっていたとしたらどうでしょう?・・・「そうか、これでイーブンか?」となりませんか? それで反対の立場になって「ああ、こんなことしちゃいけないな」とか、「こんな風につらいものなんだな」と気づきを得られる・・・そういうイメージが持てるかどうかなのですね。

道端の花を探すように・・。

道端の花を探すように・・。

ですから一つ参考にしていただきたいのは「平等を求めていく」というスタイルから、「現状から平等に気づいていく」という感覚を持ち合わせていくと言う事。 その中で少しづつ「感謝」というものや「恩恵」というものも感じられるようになりますと、これは生きていてもハッピーですし、更には運も良くなりますし、健康もついてきますね。

そういう意味では夫婦、パートナーという存在は霊性の成長にはうってつけなのかもしれません。

愚痴聞いてもらう相手を探すことよりも自分の内側にエネルギーを注ぐと人生楽しくなりますよ。