「克服」の奥を見ていくようにする!

個性や性格は克服すると逆に派手になるというお話をしました。じゃあどうやって?ということなのですが、これにはちょっとコツがありまして努力云々という感じではなくて契約をパッと切り替えていく感じでやっていくといいのですね。例えば内気という性格なら内気というエネルギーとの契約を解除して活発というエネルギーと契約し直す・・・そんな感じなのです。

一般的に性格を変えるとなると例えば前例の内気なら内気な性格の人が頑張って頑張って何とかという感じになるかと思いますが、それではいくら頑張ったところで明るく振る舞えるようになった内気な人ということになります。ということは結局、属しているのは内気という領域なのでついて回るのは内気の人が持つ特有なもので、それはどこまでいってもぬぐえない感じになるのですね。

こういうものは根っこから変わって初めて変わったと言うもので、そうであるならば「変わる」を意識した時、今のそれは捨てるという覚悟、切り捨てるという決意を持たなくてはならないのです。実はここが一番難しいところで、人というのは今あるものをなんとか繋げながら変えていこうとしますし、今までのものに上から付け加えて行こうと考えます。そう聞きますと聞こえは良いかもしれませんが、そういう癖を持ち続けている、そういう仕組みで意識が活動している以上、出てくるもの、産み出すもの、感じてしまうものはどこまでいっても同じなのです。

ですから克服と言うものは実は出来ないものと言ったら変ですが、そういうものであり、そう見破って、あとは後戻りしないように何度も何度も沸きだしてくる昔の癖を断ち切って行くことが大切なのですね。

自分だけでは無理!お手本や師と言う存在が必要!

結局やはりそんな甘いもんじゃないのですけれど、ヒントとしてはある種の自己否定であり、自分を疑うとか、やりたくないことや嘘なんかもついていかなくちゃいけないような感覚も受け入れていきますと、今までのエネルギーの領域からすると、なんだこいつはやりづらいなぁとなり、その性格は段々寄り付いてこなくなります(それが変わるという事です)。

そうなりますとやはりこれを自分だけでやっていくのは大変であり、いわば物事を指し図る物差し自身を変えていく訳ですからお手本、先生、師匠の存在が必要ですね。結局のところこれでいいのか駄目なのかが自分ではわかんないのですから。

実は厄介な「自分」と言う概念!

自分という言葉がありますが実はこれが一番厄介な代物で、自ら分けた見識、認識ですから実は一番あてにならないものであり、信用ならないものなのです。本当のことというのは外から見て合ってるかどうか、正しいかどうかと言うことであり、いくら自分がそう思っても本当のところはわかり得ること、見ていくことははできないものなんですね。

難しい所ですが、なんとなくその辺のことが見えてくると苦から解放されていきます。自分の観念から離れていくということですが、そういう領域までいくために人はいろんな個性や性格、癖をもって生まれてきているのであり、日常でいろんな思いにさいなまれているのです。そして代表的なものが、人に自分を見る、対象に自分を見るということで、何かを見たりして「素敵」とか「いやだなぁ」とかありますが、実はそれは「それ」を言ってるのではなく、それを受けて自分の内側にあるものを見ている(出ている)という事なのですね。

そこに見るものこそ「自分」なのです!

性格というのは観念。良いとか悪いとか多少はあるのですけども本質的にはそう言うものも何もないというところまで行けるといいですね。そういう意味では克服もへったくりもないという所でしょうか(笑。そんなこと言ってる内は変わらないという事ですね。

うちはそういうところをビシビシと学んでいくところです。