「欲求=必要性とは限らない」求めているものを錯覚してしまってないか?
前回からの流れですが、要するに「求めているものを錯覚してしまってないか?」と言う事になりますね。願望にしろ、目標にしろ欲求とその必要性とが一致しているか?と言う事ですが「欲求=必要性とは限らない」ということをよく理解しておかなければ「錯覚」という事態に陥りやすいのです。
そしてもしそこが一致していなければ「からまわり」という事態になります。相手にうまく伝わらなかったり、ミスやエラーが起きる。そしてまたなかなか成果も上がらないし、衝突が絶えない、ご縁も出てこないし、悪因縁が切れないと言う事になりますが、いわゆる「運がない」という感じになってしまうのです。
「求めるもの」と「必要性」と「順応性」
「運がない」と書きましたが、では運がいい、ついてる人というのはどういう方でしょうか?結果が出ている、物事が順調に進んでいく、恵まれてる・・・など、周囲から見て「いいなぁ」と思われるような感じかと思いますが、でも本当は目立たないだけで、あるいは見せないと言う事もあるでしょうが、失敗やトラブルなんかもちょくちょくあったりします。
しかし本当に運のいい人というのは自分のゴール、目標、求めるものが明確ですし、その必要性も正しく理解している。そしてまたここが大切ですが「順応性・適応性」というものを持ち合わせているものでして、たとえ何かが起きたとしても、そこに気付きを見いだし、燃料にして逆に踏み台にしステップアップしていくのですね。必要ならば自らもまた変わるということが出来ないと本当の運は良くならないのです。
「魂の修行が何よりも一番にあるかどうか?」願望、欲求はその教材である!
世の中にいらっしゃる運の良い人にもいろいろなレベルがあります。一時的で波が激しく不安定な人もいれば、安定して気が付けばドーンと大きくなってるような人まで様々ですが、不安定な人とというのは「どうすれば安定してけるのか?」という意識が希薄、あるいはあっても順応していかない。極論を言うとそこまでしなくても安定していけると安定を重要視していないところがありますね。つまりなめているわけですが、基本的には順応、適応していく・・・つまり「魂の修行が何よりも一番にあり、そこを鍛えていくための教材としての欲求というものを持ってもいいよ」という感じになっていかないと上手く成り立たないのです。
ですから都合のいいことばかり言っていてはダメですし、何もせずにいつまでもその時を待っていてもダメ。固定観念に縛られ重力にズブズブ引き込まれるような願望は妄想であり、魂が心から求めている欲求はそこからに脱出であると目を覚ますことが何よりも大事になってきますね。
そういう意味では願望、欲求、願いという類のものは簡単に考えちゃいけないということで、向き合い方を間違えば人生をグネグネに曲がって生きなくてはならなくなりますのでご注意ください。